前回のつづき‥‥
自転車専用道の【一般県道羽咋厳門自転車道線(通称:羽咋健民自転車道路)】は米町川の河川改修工事の為、迂回が必要になっています。
(2020年4月25日撮影)
ホテルから車で約5分、迂回路に指定されている米町川沿いに【高山右近記念公園】があります。公園には十字剣を手にした銅像があり、平成11年に建立されました。
高山右近は、豊臣秀吉のバテレン追放令で、前田利家に保護され、加賀藩領で26年間を過ごしたとされます。
前田家はキリシタン文化交流を重視し、禁教下における隠れキリシタン達の信仰道場を七尾市≪山の寺寺院群≫のひとつ【本行(ほんぎょう)寺】に置き、「ゼウスの塔」や高山右近の修道所跡などが残っています。
(七尾市本行寺にて、2018年7月25日撮影)
そして徳川家康によるキリシタン国外追放令で、マニラへ渡ったわずか40日後に亡くなった高山右近―――ともにマニラへ渡っていた孫の一人が、右近の遺骨の一部を持って帰国しましたが、その身を寄せたのが末吉地区の板尾甚左家だったそう。
小高い山中にひっそりと墓を作り、板尾甚左家が墓守をし続けてきましたが、帰国した右近の孫は迫害を受け、一時、北海道に移住。その後、子孫は七尾市田鶴浜から志賀町代田地区(ホテルから車で約10分)へと移り住み、現在も右近から数えて16代目となる方が暮らしています。
ちなみに、大分県大分市の高山家は右近の次男、志賀町の高山家は長男の家系だそうです。
さて、お墓とされる『高山右近の碑』は先述した通り、山の中にあるので虫や蚊にはご用心。
入口は民家のすぐ横にあり、お墓へとつながる道は約100メートルあり、その高低差は20メートルほど。
山中は比較的キレイに整備されていて、除草もされていますが、履物と服装にはご注意ください。
途中には沢があり、その壁には無数の “穴” が‥‥
川底にはアカテガニと思われる姿と、自切したと思われるハサミが見えました。
案内表示もいくつかあり、迷うことなく進めます。
十字架の『高山右近の碑』は森の中でひっそりとたたずんでいました。
ヤブツバキと思われる幹には見事なコブが‥‥
碑の周辺にはいくつかのお墓、そして何かの墓石と思われるものも点在していました。
ちなみに、平成29年には高山右近がカトリック信仰の模範を示した、とローマ教皇庁から「福者」の称号を授かり、その列福式には先述した志賀町代田地区に住む子孫が出席したそうですよ。
(上記掲載の写真は2020年8月25日に撮影したものです)