2019年4月30日 (火)

THE KASHIHARA古代史探訪③~万葉集◇令和~

今日、4月30日をもって平成が終わり、明日より新元号「令和」の時代となります。

THE KASHIHARA(旧橿原ロイヤルホテル)は平成6年3月オープン以来、25年間営業が続けてこれたのも、ひとえにたくさんのお客様のご支援ご厚情の賜物と心より御礼申し上げます。

「令和」も引き続き何卒よろしくお願い申し上げます。

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新元号「令和」が万葉集の梅花の歌の序文を典拠としていることが公表され話題になっています。

万葉集『梅花の歌三十二首并せて序』(巻五)より

原文)

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。

于時、初春月、氣淑風。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

天平二年正月十三日に、帥老の宅に萃(あつま)りて、宴會を申(の)ぶ。時に、

初春の月にして、氣淑く風ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、 蘭は珮後(はいご)の香を薫す。

現代語訳)

天平二年正月十三日(西暦730年2月8日)に、太宰府の長官の大伴旅人の家に集まり、

梅花の宴を開く。季節は、初春のよい月で、大気もよく風も穏やかになり、

梅の花は鏡の前(に座る美女たちが化粧に使う)白い粉のように(白く)開き、

蘭は(身にまとう)装飾品の香りのように薫っている。

『文選』張衡(78-139)中国の詩文集「帰田賦」より抜粋
原文)

於是仲春月,時氣清;原隰鬱茂,百草滋榮。

是に於いて 仲春の月 時はし気は清むすむ 

原隰げんしゅうし鬱茂し 百草 滋栄す

現代語訳)

おりしも今は 春も半ばのめでたい月よ。

時節はなごやか 空気は澄んで 丘も湿地も鬱そうと 百草は繁り花さく。

さて、「令和」は、わが国最古の歌集「万葉集」が典拠となり、『万葉集』巻5に残されている、「梅花(ばいくわ)の歌三十二首」の歌そのものではなく、序文に天平2(730)年正月13日に帥老(大伴旅人)の宅に集まって宴会をくり広げたことである。

この中の「令」と「和」を組み合わせている。

ただし、この序文、万葉仮名(大和言葉を漢字で表記する)ではなく漢文で記されている。

中国の南北朝時代に記された『文選』の「帰田賦(きでんのふ)」の一部を借用したらしいから(「仲春令月、時和し気清らかなり」)孫引きとなり、SNS上で批判的なコメントも一時散見されました。
ここで、万葉集について、カナリ深イイお話をご紹介しておきましょう。


歴史作家 関裕二氏は、最近のコメントの中で

『日本は漢字文化圏から多くの影響を受けてきたから、日本の文献から引用しても、必ず海外との何かしらのつながりが出てくるのは当然のことで(漢字そのものが、大陸から伝わったのだし)、それでも「日本人が記した書物の中から漢字を拾ってくる」行為は、試みとして称賛されるべきものと思う。』-と述べている。

また、『《文選》の「帰田賦」は後漢時代の政治家で発明家、天文学者の張衡(ちょうこう)が、愚昧な安帝と政治腐敗に辟易し、都を離れるときに詠んだものだが、『万葉集』の「梅花の歌」の序文にも、良く似た背景が隠されている。だから、序文作者が「帰田賦」の記事の一部を借用したのは、意図的ではないかと思えてくるのだ。というのも、序文の記事は、独裁者藤原氏が高笑いしていた絶望の時代のものだったからだ。むずかしい立場にあったのは、歌壇の主役大伴旅人とその一族であり大伴氏の悲劇は、主だった古代豪族が藤原氏に潰されていく中、最後に残った名門豪族だったことだ。そんな中、大伴旅人が頼りにしたのは、天武天皇の孫の長屋王だった。ただし長屋王は神亀元(724)年に政権トップの左大臣に躍り出たため、藤原氏に邪魔にされたのだ。そんなおりもおり、大伴旅人は大宰帥に飛ばされ、長屋王は都で孤立し、陰謀にはめられ、一家全滅に追い込まれてしまった。それが、「梅花の歌」が作られる前年の天平元(729)年のことで、大伴旅人は都の悲劇を、なすすべもなく見ているほかなかった。』と、

関氏はこの歌に秘められたもうひとつの悲しい抒情を述べていた。

”名付け親〟とされる?万葉集研究・中西進先生は、最近のインタビューの取材のなかで

『なぜ大伴旅人が大宰府の帥になったかというと、当時の新興勢力であった藤原氏が、一族出身の光明子を聖武天皇の皇后にしようとして、邪魔な旅人を左遷したからです。続いて藤原氏は、左大臣の長屋王を自害に追いやった。そして書状で自分を琴になぞらえて、自分の生き方を宣言するんです。「あなた方は私の軍事力を気にしているけれど、私は役に立つつもりはありませんし、反対に、あえて戦いを望んであなたと対峙(たいじ)することもありません」と。この品格にしみじみと感動しませんか。万葉歌人の中でも旅人こそは最も高邁(こうまい)で一番すてきな男性です。』

この大伴旅人の歌を絶賛し、また、中西進氏インタビューの締めくくりとして、

『対立する2つの勢力があるとき、選択肢は戦いか屈服しかないと考えがちですが、私は必ず第3の選択肢があると思っています。それを世界に示すことができるのがすことができるのが日本であり、日本の務めであると考えています。万葉集の中に息づく平和への祈りを実現するのが、「令和」の時代の役割だと思います。』と中西進氏は「令和」の中に強い期待を込めている。

奈良県(大和)を舞台に詠まれた歌は、重複の含め897首あり、地名が確認されないものも含めば2000千首以上にのぼるのではないかと言われております。

つまり全万葉4516首の半分ほどは奈良県(大和)を舞台にしているだろうということです。

THE KASHIHARAはその舞台の中央に位置し、大和三山に囲まれ、飛鳥エリア、大神神社エリア(山の辺の道)、吉野、宇陀、葛城へのアクセスに最適です。

もちろん、初心者からマニアの方まで大歓迎です。

皆さまの万葉の旅を心よりお待ち申し上げます。

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