2019年3月28日 (木)

THE KASHIHARA古代史探訪② ~橘寺~

和名の由来は江戸で彼岸のころに咲くことからきていて3月に咲くことが多く、

明日香にも春の訪れを感じさせてくれました。

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寺伝では、飛鳥時代に推古天皇の命により聖徳太子が創建された寺院であること、

そしてこの地は聖徳太子の生誕の地でもあると伝えられています。

また、聖徳太子建立七大寺の一つとされています。

聖徳太子が創建したことについては諸説や、発掘内容から伝承の域をでないが

顕真の「聖徳太子伝私記」では「橘寺は法隆寺の根本の末寺なり」とあり

法隆寺の小仏群等は橘寺から送られているとの事らしい。

また、「南都七大寺巡礼記」(平安中期)には、

橘寺は聖徳太子の菩提寺として金堂には救世観音、

講堂には丈六の釈迦像、そして五重塔が納められていたとのことで、

聖徳太子がかなり濃く祭られていた様子が目に浮かびます。

乙巳の変(645年)以降、天智帝の時期、橘寺と、

南側に斉明天皇を祭る為の川原寺がセットで建立されているが、

梅原猛氏は、蘇我入鹿と大化の改新の主要メンバー一味による太子一族(山背皇子一族)が

滅亡しその一族の霊を鎮める為の鎮魂の寺、橘寺と度々、山背一族を滅亡させてことが原因で、

暗殺された蘇我入鹿の祟りに悩まされた、白村江の戦いの中で奇怪な死を遂げた、

天智帝(中大兄皇子)の母、斉明の霊を祭った川原寺を両者を祭ることで、

蘇我氏の霊をも慰めたと推測してるが、現在はその面影は法隆寺や興福寺に移されたと考えられます。

最近の研究によれば飛鳥時代、飛鳥京を囲むように、荘厳な、川原寺、飛鳥寺、大官大寺、

山田寺そして橘寺、仏教の光を背に新たな国づくりを本格的に進めたのは、

むしろ蘇我氏、そして、その遺志を継承した天武朝であると言われます。

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橘寺の薄墨桜がほのかに揺れるたび、蘇我氏のかすかな息づかいが感じられます。

THE KASHIHARAから橘寺まで、車で約10分。

または、近鉄 橿原神宮前駅からバスで約30分、「川原」下車。

お越しの際は是非当ホテルをご利用下さいconfident

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