2019年1月31日 (木)

THE KASHIHARA古代史探訪① ~大和三山、そして三輪山~

こんにちは。

今回、THE KASHIHARA古代史探訪①として大和三山をご紹介します。

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大和三山は、畝傍山(199m)、耳成山(140m)、香具山(152m)に分かれ

飛鳥時代(持統朝)三山に囲まれた中心に日本には本格的な藤原京が整備されました。

万葉集では、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が大和三山の争いを詠んだ

有名な歌が残されています。

「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 

古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻を あらそふらしき」

香具山は 畝傍山をいとしいとして 耳成山と相争った。 

神代から こうであるに違いない。

いにしえも そうだったからこそ 今の世の人も 妻を 取りあって争うらしい。

作者は中大兄皇子(後の天智天皇)。

なぜかしら、どうしても額田王をめぐる大海人皇子(後の天武天皇)との諍いを連想してしまいます。

当時のこの二人の間には複雑な政敵(蘇我派と反蘇我派)による婚姻関係がある。

最初、大海人皇子と額田王が結ばれ十市皇女も生んでいたが

十市皇女は天智天皇の子、大友皇子に嫁ぎ、母親の額田王は天智天皇に嫁いでいる。

逆に、大海人皇子は天智天皇の娘を多くもらい受けている

太田皇女(大伯皇女、大津皇子の母)、鸕野讚良皇女(持統天皇)

大江皇女(弓削皇子の母)、新田部皇女等皇位を激しく争っていた時代だけに

人質的な婚姻関係であった。

額田王が万葉集で詠んだ歌に

「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」

紫草の生えた野を行き、標野を行きながら(標野の)見張りが

見やしないか、いや、見てしまうでしょう。

あなたが(あっちへ行きこっちへ行きながら私に)袖を振るのを。

兄の天智天皇の妻である額田王に、かつての夫である弟の

大海人皇子(おほあまのみこ)が隠れて求愛しているという反歌に、

「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも 」

今は天智天皇と付き合っているけれど、大海人皇子は、実はまだ私に気があって、

彼は袖を振って好きだと伝えてくるわ

そんなあちこちで袖を振っていたら、見張りの人がこれをみて、

秘めた恋がばれてしまうじゃないの。

非常に危険な恋の関係である。

また白村江の大敗後、天智天皇による近江遷都が決行された際、

額田王が万葉集でこんな歌をのこしている

「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情こころあらなも 隠さふべしや」

三輪山をみられるのも、もうこれが最後だというのに、

雲よ、どうしていじわるをするの。

飛鳥を離れ、遠い近江まで行かなければならないんです。

この辛い寂しい気持ちを、せめてお前だけでも解って欲しいなあ。

雲よ、おまえに思いやりがあるのなら、三輪山を隠さないで、見せておくれ。

額田王にとっては、大海人皇子との楽しい思い出のある飛鳥を離れることは、

他の人以上に寂しいことであったんだろうと伺えます。

その後、672年 古代最大の内乱 壬申の乱が勃発します。

(天智天皇が亡くなった時、大海人皇子(天武天皇)と

天智天皇の息子・大友皇子(弘文天皇)が関ケ原にて激戦を繰り広げ

大海人皇子(天武天皇)が勝利する。都は再び近江から飛鳥へ移される。)

写真はホテル屋上より(通常は上がることが出来ません)大和平野を撮影したものです。

季節的には寒い時期ですが、神聖な山々、飛鳥を凛とした気持ちで歩くのは気持ちがいいものです。

そして、冷へた身体をホテルの温泉でホッコリ温まるのは格別です。

次回、悲劇の大津皇子と二上山について、語ろうかな?

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